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リチャードジノリ 【クリッパー】 キャンドルスタンド H15cm

10780円

リチャードジノリ 【クリッパー】 キャンドルスタンド H15cm



サイズ:高さ15cm
素材:陶磁器
※モニターの発色の具合によって実際のものと色が異なる場合があります。

キャンドル
古代エジプトではミイラ作成などで古くから蜜蝋が使われており、2300年前のツタンカーメンの王墓からは燭台が発見されていることから古くからろうそくが使われていた。
紀元前3世紀のエトルリア(イタリアの一部)の遺跡から燭台の絵が出土し、この時代にろうそくがあったことは確かだとされる。この時代の中国の遺跡でも燭台が出土している。

ヨーロッパにおいては、ガス灯の登場する19世紀まで、室内の主な照明として用いられた。キリスト教の典礼で必ず使われるため、修道院などでミツバチを飼い、巣板から蜜ろうそくを生産することが行われた。
釣燭台(シャンデリア)は本来ろうそくを光源とするものであり、従僕が長い棒の先に灯りをつけ、ろうそくにそれぞれ点火した。
蜜ろうそくのほかには獣脂を原料とするろうそくが生産された。マッコウクジラの脳油を原料とするものが高級品とされ、19世紀にはアメリカ合衆国を中心に盛んに捕鯨が行われた。

和蝋燭
日本でろうそくが最初に登場したのは奈良時代である。
当時のろうそくは中国から輸入された蜜ろうそくと考えられている。恐らく、仏教の伝来とともにあわせて伝わった。
平安時代になり、蜜ろうそくに代わって松脂ろうそくの製造が始まったと考えられる。その後、和ろうそくと呼ばれる はぜの蝋や漆の蝋などを使ったものに変わり、江戸時代にはろうと松ヤニと混ぜてハードワックスにしていた。また、江戸時代には木蝋の原料となるハゼノキが琉球から伝わり、外出用の提灯のための需要が増えたこともあって、和ろうそくの生産量が増えた。和ろうそくは裸で使うより提灯などに入れて使うことが多かったので、蝋が減っても炎の高さが変わりにくいように上の方が太く作られていた。明治以降の西洋ろうそくの輸入により、その地位も取って代わられている。
産業革命、石油化学工業の発達により18世紀後半以降、石油パラフィンからろうそくが作られるようになり、工業的大量生産が可能になった。厳密には蝋ではないが、「ろうそく」として最も普及している。

クリッパーとは、19世紀に発達した大型帆船のこと。快速帆船と訳されることもある。
大部分はアメリカ合衆国とイギリスの造船所で造られたが、フランスやブラジル、オランダなど他の国でも建造された。

積載量よりも速度を重視していたことから、一般的に全長に比して狭い船体と、多くのマストと帆を持っていた。
多くはシップ型帆装で多くの横帆を持ち、スピードを得るために広大な総帆面積を誇る。そういった外観から熱狂的なファンが多く、帆船模型では定番となっている。
イギリスのカティーサークを始め、保存されている船も存在する。
イギリス本国とオーストラリアやニュージーランドを繋ぐクリッパーの航路。
吠える40度と呼ばれる強風を利用している。
クリッパーは1843年、好景気により急激に増える茶の需要に応じる形で、アジアからの輸送を迅速に行うために使用され始めたとされる。
クリッパー需要は1848年にカリフォルニア、1851年にオーストラリアで金が発見されると加熱していくが、1869年に大陸横断鉄道とスエズ運河が完成すると急速に衰退していった。

イギリスで利用されたクリッパーは、輸送する荷物によりティークリッパー(茶)、ウールクリッパー(羊毛)と呼ばれる。
これらの輸送は通常18~24ヶ月を要していたが、クリッパーの登場によって100~120日前後での輸送が可能となった。
こういった船の航海は商機を得るために植民地~イギリス本国間で輸送競争(レース)となることがあり、後に「○○~○○間を○日で到達」といった最速記録が伝説的に語り継がれることとなった。
特にライバル関係にあったカティーサークとサーモピレーは有名で、1885年にはカティーサーク(ゲール語で「短いシミーズ」)がシドニー~ロンドン間を72日という最速記録を打ち立てている。

ロバート・バーンズ 作の詩「タモシャンター」に登場する魔女に由来します。
農夫のタムが馬にのって家路を急いでいると、悪魔や魔法使いが集会をしているところに出くわしました。
そこでタムは、カティサークを身にまとった若くて妖艶な魔女に魅了され、思わず手を出そうとしました。
そのとたん、にわかに空が暗くなり、魔女たちがタムを捕まえようとしました。
タムは馬に疾駆して、命からがら逃げ出しました。
カティサークの魔女は馬の尾をつかまえましたが、尾が抜けてしまったため、タムは逃げのびることができました。
帆船『カティーサーク』の船首像はカティサークを身にまとった魔女であり、その手には馬の尾が握りしめられてます。
カティサークは現存する唯一のティークリッパーとしてロンドン近郊のグリニッジで保存展示されている。


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アルモニアシェープ (現在は エコーシェープ)

(グッチ)ジノリで廃盤になりました。

類稀な 美貌と知性の女性は 鄙に生まれながら 自らの運命に従い 皇帝の妃に。
生まれながら 王家の姫は 運命られし縁に 時の王妃へと。

イタリアで初めて磁器焼成に成功したのは 1720年 ベネツィアのヴェッツィ兄弟窯でした。
兄弟は マイセンから ウィーン窯の前身 デュ・パキエ窯を経た アルカニストを名乗るフンガーの売り込みを 信じて受け入れました。
フンガーは マイセンのカオリンを まんまとせしめ 初めて磁器焼成に成功しました。
(彼は 以後 報奨金を求めて 転々とするのですが カオリンに恵まれず 一度も成功しておりません。
ロイヤルコペンハーゲンへも 売込みをかけましたが いかがわしい噂のある男として 受け入れられませんでした。
流れ流れてロシア・ペテルブルグで エリザベータ女帝に 1744年 王立窯を 開かせました。ここでも カオリンに恵まれず 4年で追放されました。
皮肉なことにその直後に モスクワ近くで カオリンが 発見されました。)
フンガーが 唯一 成功したヴェッツィ窯も マイセンのカオリンを止められて 10年を経たずして 廃窯しております。

次に 現存する ジノリが 1735年 フィレンツェ郊外の ドッチアに カルロ・ジノリ侯によって 開窯されました。
侯は ウィーン窯の前身 デュ・パキエ窯からヨハン・ツィルンフェルトを受け入れ 湧き上がる ヨーロッパ白磁戦争に 堂々と参戦しました。
当初 灰色味がかっていた白磁も 1790年ごろからリモージュのカオリンを 用いることで完璧な白磁を完成させております。

1771年 ナポリ窯が創設される。
ハプスブルク王家や ナポレオン治世下を経た 両シチリア王国 フェルディナンド3世治世下の(ナポリ窯)カポデモンテを 1834年 ジノリが買収。
モールドを継承した正式な継承ですから 復刻にナポリ王冠窯印Ginoriを施したものは正当です。

ただここからが問題ですがジノリは ナポリを訪れる観光客への街道沿いのお土産屋からの依頼で モニュメント的なベースや キャンドルスタンドなどのモールドを作り ナポリ王冠窯印Ginoriを 施した贋作を作ります。
お土産業者は 仕入れ価格の6倍でも売れるのに味を占め よりアンティックに見せる為 Ginoriの施印まで外させたほどです。
只ジノリも面白くないのか ナポリ王冠等とても雑で 一目でお土産品ですよと判ります。
日本の清水で売られる 中国製の清水焼に 「清水」としか書かれてない手合と同じです。

1869年には リチャード社を 合併して 今の リチャードジノリ社になりました。(真相は ジノリ家内の領地争いの中、ミラノの陶芸家、アウグスト・リチャードに 身売りしたのが 社名の頭から判ります。)
特筆されることは 1920年頃 アート・ディレクターに ジオ・ポンティを招聘して 新しい 芸術性豊な 作品群を ものにして 名声を高めたことです。

リチャードジノリ 【クリッパー】 キャンドルスタンド H15cm

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